ちきりんさんをご存知ですか?
ちきりんさんと言えば、2005年開設のブログ「Chikirinの日記」で知られる社会派ブロガー。
Twitterのフォロワーは35万人を超えています。
最近では、音声プラットフォームVoicyを始めたり、マンションのリノベーションに関する発言で話題になりましたね。
そのちきりんさん。
著書がベストセラーとなったり、発言が注目されるようになっても、本名や顔写真は非公表です。
堀江貴文さんや、共産党の志位和夫さんなど、様々な著名人との対談時も、顔は手書きのお面でした。
ちきりんさんとは、何者なのでしょう?
本名や正体、2024年現在までの経歴をまとめました。
顔画像や若いころの画像も探しましたよ。
ちきりんの経歴とプロフィール
- ペンネーム:ちきりん
- 本名:非公表(伊賀泰代?)
- 生年月日:非公表
- 出身:兵庫県
- 大学:一橋大学法学部
その他、断片的に明かされている経歴として
- 新卒で勤めたのは、大手金融機関(非外資系)
- 27歳で退職し、アメリカに留学
- 留学先で、MBA取得
- 帰国後は、外資系企業に就職
- コンサルト業務を経て、人事・人材育成系の部門を立ち上げ
- 2011年に退職しフリーに
現在も運営中のブログ「Chikirinの日記」は、会社員時代に開始しています。
ちなみに、ペンネームのちきりんには、本名は含まれていないと明言されています。
その由来は、当時ちきりんさんがハマっていたテレビゲームから。
ダビスタ(競走馬育成ゲーム)での持ち馬の名前なんだそうです。
ちきりんの正体は、伊賀 泰代?
学生時代のちきりんさん。ワンピースはご自分で作ったそうです(出典:Chikirinの日記)
経済系専門誌などで指摘
ちきりんさんの正体は伏せられているものの、
元マッキンゼーOGの伊賀 泰代氏ではないか?
そんなウワサが以前からありました。
これは週刊東洋経済や日本経済新聞など、大手メディアでも指摘されています。
(クックパッドの株式総会にて)1年前に勃発した“お家騒動”の影響で、社長交代、経営方針の大転換、子会社の大量売却と、混迷ぶりが際立つ同社。直近では、社外取締役候補にコンサル会社マッキンゼー・アンド・カンパニー出身のキャリア経営コンサルタント、伊賀泰代氏(覆面の人気ブロガー、ちきりん氏の“中の人”として広く認識されている)が選任されたことにも賛否の声が上がった。
クックパッド総会で株主が突き付けた「不信」(東洋経済online2017.3.25掲載)
え、そうなの?
もう既成事実みたいな書き方じゃないですか。
では、伊賀 泰代さんの経歴を見てみましょう。
ちきりんと伊賀 泰代の経歴は同じ?
伊賀 泰代の経歴・プロフィール
- 1982年 兵庫県立姫路西高等学校 卒業
- 1986年 一橋大学法学部 卒業
- 1986年 – 1991年 日興證券 引受本部(当時)勤務
- 1991年 – 1993年 27歳でアメリカ留学 University of California at Berkeley, Haas School of Business (MBA)
- 1993年 – 2010年 McKinsey and Company, Japan(外資系企業) 勤務
- 1993年 - コンサルタント(Associate, Engagement Manager)
- 1998年 - 採用・人材育成マネージャー
- 2004年 - 採用マネージャー
- 2011年 - キャリア形成コンサルタントとして独立
伊賀 泰代さんの年齢は非公表ですが、1982年の高校卒業と1986年の大学卒業から、1963年生まれ。
2024年には、年齢が61歳になる計算です。
ちなみにアンダーラインの部分は、ちきりんさんの経歴と共通する部分です。
さて、ちきりんさんは、新卒で働いていた頃について、ブログにこう書いています。
日経平均が2万円台に乗った日のことは、よく覚えています。
私はその頃、証券会社で働いており、大部屋の端には、巨大な株価ボードがリアルタイムで主要各社の株価を提示していました。
Chikirinの日記より
日経平均株価が初めて2万円を超えたのは、1987年1月30日のこと。
伊賀 泰代さんの経歴とも合致しますね。
ちきりんさんは新卒で就職した大手の金融機関について、
- 女性と男性に差をつけないこと(女性のみ制服、女性のみ転勤なしなど)
- 女性のみが働く職場ではないこと
これが選択の決め手になったとブログで語っています。
一方で伊賀 泰代さんも、自身の著書「採用基準(ダイヤモンド社)」で、
(伊賀 泰代さんが就職した当時から)
- 日興証券は、男女雇用機会均等法の施行に先駆けて、女性総合職の採用を開始した
- 男性社員と同様に社員寮を用意
- 総合職では、女性も制服はなかった
こう述懐しています。
ふたりの発言には、共通点がありますね。
「Chikirin」を商標登録したのは?
伊賀 泰代氏(出典:my choice)
もうひとつ、伊賀 泰代氏がちきりんさんであることの根拠として挙がっているのが商標登録です。
Chikirin(チキリン)を商標登録しているのは、他でもない伊賀 泰代さんなのです。
2012年3月9日に出願し、9月14日に登録されていることが、特許電子図書館のデータベースで確認できます。
2013年頃でしたか。
このことがネット上でも話題になりましたが、ちきりんさんも、伊賀 泰代さんも特にコメントせず。
沈黙を守っていたのです。
ふたりの画像を並べてみても、同じ服に同じようなアクセサリー。
シルエットもそっくりなんですけどね。
ちきりんが本名を公開しない理由
本名を公開しない理由について、ちきりさんは、こんなことを話しています。
- 「Chikirinの日記」を始めた頃は、まだ会社員だった
- 社会問題に関する発言もあり、職場に迷惑をかける可能性も考えた
- 経歴など先入観なく、ちきりんが考えたことを楽しんでほしかった
確かに、ネット上の発言を切り取って、職場にクレームをつけるひとは、一定数いますもんね。
それが極めて個人的な内容だったとしても、です。
ましてちきりんさんは、ご自身のブログを読むことで
読者が自分の頭で考えるきっかけ
これになるとうれしいと語っているくらいです。
ちきりんさんのブログ記事について、賛否両論が噴出することもたびたびありました。
曲解したり、主義主張と合わずに許せなくなるひともいそうです。
そして、もうひとつの理由はこれです。
キャラクターを使い分けることができること。
会社を辞めてフリーになるとき、実名公開を検討したちきりんさん。
結局そうしなかったのは、こんな戦略があったからでした。
“ちきりん“も、「リアルな自分とは別人格」という立ち位置をとることで、その発言や行動には、より高いレベルの自由度が確保できています。ふたつのキャラクターを持つことで、それぞれ異なる分野の人たちと会え、活動範囲も広がるなど、ブランドマネジメント上でもメリットが得られているのです。
ちきりん「自分メディア」はこう作る!(文藝春秋)pp38-39
以前から、ひとりの作家がペンネームを使い分けて、別々の分野で執筆することはよくあります。
私が勤める病院でも、あるドクターは小説家としても活動していました。
もう別の病院に移動したけど、先生は元気かな。
それなら、正体や本名を探るのは、ちょっと野暮ですよね。
そっか、仕方ないな。
そう思っていたのです。
ちきりん、正体を公言した?
ところが!
ちきりんさんは、2020年4月24日にTwitterでこうつぶやきました。
テレビ番組の出演者の個人的な本棚に、
自分の本があったらいいなっていうのが夢だった
それが叶った!
って、そこの写真に写っているのは、
伊賀 泰代さんの本です・・・よね?
前述した、伊賀 泰代さんの「採用基準」じゃないですか!
左から2冊目です↓
いえ、別に全然問題ありませんけど、そっか。
言っちゃうんですね~。
その数か月後のVoicy「本名かペンネームか」でも、ちきりんさんはこう話しています。
(ちきりん名義で著作が何冊もあるけれど)
本名では、本を2冊出している。
ちなみに、伊賀 泰代さんの著書は、紙媒体のものでは2冊のみ。
「採用基準」と「生産性」です。
しかもいずれも、15万冊を超えるベストセラーなんだとか。
これはもう、ちきりんさんって、伊賀 泰代さんですよね?
ちきりんは、ちきりん
出典:ちきりんTwitter
明確な戦略で「ちきりん」をブランディングしたり、そうかと思えば、あっさりヒントを提示したり。
もしかしたら、何か新しく考えているプランがあるのかもしれませんね。
ちきりんさんと言えば、政治経済や、最近では住宅・リノベ分野の発言が大きく注目されますが、実は熱心なトラベラーでもあります。
ソ連の崩壊直後のロシアや軍事政権下だった頃のミャンマーなど、マイナーな国や時期にも訪れているのです。
近年だと、ラオス旅行記もありました(村上春樹もそういえば行きましたね)。
ガチガチの頭でっかちな評論家ではないのです。
名前や正体など、些末な問題かもね。
そんな気分にさせるのが、ちきりんさん。
これからの活躍も楽しみです。