歌手・女優として、2024年現在も第一線で活躍する小柳ルミ子さん。
年配の世代にとっては、「瀬戸の花嫁」を歌う、かつてのアイドル歌手。
若い世代にとっては、サッカーに詳しい「年齢不詳のお姉さん」・・・でしょうか。
実は小柳ルミ子さんは、2024年には年齢72歳。
とは言え、現在でもスタイルは抜群です。
4月11日放送の番組「徹子の部屋」では、
今でも、アクロバティックなダンスをしている
などと語り、司会の黒柳徹子さんを驚かせていました。
そんな小柳ルミ子さん。
若い頃は宝塚音楽学校を首席で卒業し、とても可愛かったとご存知ですか?
清純派アイドル歌手の時代や、人気絶頂で「脱いだ」過激な主演映画の画像も・・・。
昔のモノクロ写真でみる小柳ルミ子さんは、ため息が出るほどキレイです。
若い頃の宝塚時代や「脱いだ」妖艶な映画女優時代、ダンスを取り入れた30代も、小柳ルミ子さんの昔の写真・画像をまとめました。
【画像】小柳ルミ子の若い頃が見たい!宝塚時代に過激主演映画、昔のモノクロ写真が美しい
【画像:小柳ルミ子の若い頃①】首席で卒業した宝塚時代
あまり知られていませんが、小柳ルミ子さんは宝塚歌劇団の出身。
しかも、宝塚音学校を首席で卒業した経歴の持ち主なのです。
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【画像:小柳ルミ子の若い頃、宝塚時代】
地元福岡の中学校を卒業し、すぐに宝塚音楽学校に入学した小柳ルミ子さん。
こんな初々しい画像も残されています。
【画像:小柳ルミ子の若い頃、宝塚時代】
でも実は、小柳ルミ子さんが目指していたのは、タカラジェンヌではありません。
元々の夢は、歌手になること。
そこで宝塚音楽学校の在籍中から、芸能事務所に相談していたそう。
そしてなんと、歌手デビューの確約を取り付けることに成功したのです。
わお!
ただし芸能事務所からは、こんな条件を提示されます。
それは、宝塚音楽学校を首席で卒業すること。
あら、まあ。
入学することさえ難関なのに、首席で卒業するとは、ねえ。
ですが、それを本当に成し遂げたのですから、小柳ルミ子さんってすごいです。
【画像:小柳ルミ子の若い頃、宝塚時代】
この画像は、小柳ルミ子さんが「夏川るみ」として、宝塚歌劇団に在籍していた時のもの。
でも今となっては、当時の写真はほとんど残っていません。
というのも小柳ルミ子さんは、宝塚歌劇団をわずか2か月で退団。
念願の歌手デビューに向けて、全速力で走りだしたからなのです。
【画像:小柳ルミ子の若い頃②】瀬戸の花嫁が大ヒットのアイドル歌手時代
1970年に宝塚歌劇団を退団後、準備期間を経て、1971年に歌手デビューした小柳ルミ子さん。
当時18歳で発売したデビュー曲「わたしの城下町」、その後の「瀬戸の花嫁」と続けて大ヒットとなります。
【画像:小柳ルミ子の若い頃、アイドル時代】
現在の小柳ルミ子さんは、年齢を重ねてもセクシーでキレイというイメージですよね。
でもデビュー当初の若い頃は、がっつりアイドル路線。
1970年代を代表するアイドル天地真理さん・南沙織さんと共に、小柳ルミ子さんは「三人娘」と呼ばれていたのです。
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【画像:小柳ルミ子の若い頃、アイドル時代】
その後も1980年代にかけて、「来夢来人(ライムライト)」や「お久しぶりね」など、小柳ルミ子さんはヒットソングを連発。
1971年~1988年まで、18年連続でNHK紅白歌合戦にも出場しています。
【画像:小柳ルミ子の若い頃、アイドル時代】
ただ一方で、アイドル時代の小柳ルミ子さんは、かなり焦りも感じていたそう。
2020年のインタビューでは、当時の心境についてこう語っています。
(小柳ルミ子)……あのね、私は常に、自分で自分をプロデュースすることができないと長く生き残ることはできない、と思ってきたんです。
(中略)『このままだとズルズル歌謡曲歌手で終わってしまう、何か行動を起こさなければ』と焦りがあったんです。
出典:「mi-mollet」(2020.8.20)【小柳ルミ子】清純派歌手の全盛期にヌードになった理由
そんな若い頃の小柳ルミ子さん。
アイドルから路線変更し、次は本格女優への道を邁進していくのです。
【画像:小柳ルミ子の若い頃③】人気絶頂で脱いだ過激な主演映画
アイドルではなく、女優としての小柳ルミ子。
これを決定づけたのは、1982年公開の映画「誘拐報道」です。
【画像:小柳ルミ子の若い頃】
この映画で小柳ルミ子さんが演じたのは、犯人の妻という難しい役どころ。
所属事務所からは、「清純派アイドルが汚れ役を演じるなんて・・・」と大反対されたのだとか。
ところが小柳ルミ子さんは、この映画で日本アカデミー賞の最優秀助演女優賞を受賞。
女優としての演技力が高く評価される結果になったのです。
わお!
そして次に受けた仕事は、なんといきなり初主演の映画。
しかも・・・、その映画には「脱ぐ(ヌード)」場面があったのです。
【画像:小柳ルミ子の若い頃、映画で脱いだとき】
小柳ルミ子さんが「脱いだ」のは、1983年公開の映画「白蛇抄(はくじゃしょう)」。
同名の文学作品を映画化したもので、京都の寺を舞台にした愛憎劇ですね。
【画像:小柳ルミ子の若い頃】
実は「白蛇抄」は芸術的な評価もある一方で、端的には「濡れ場」も多い映画です。
しかも小柳ルミ子さんは、今も愛される名曲「お久しぶりね」を発売した直後のタイミングでした。
所属事務所には詳細を明かさず、「脱ぐ」ことは自分で決めて了解したのだそう。
しかし結果的にはこの映画で、小柳ルミ子さんは日本アカデミー賞の最優秀主演女優賞を獲得。
アイドルから女優へと、大きな飛躍を遂げたのでした。
【画像:小柳ルミ子の若い頃④】清純派アイドルからセクシーに踊る歌手へ
脱ぐことも辞さない「体当たりの演技力」により、女優としても評価されるようになった小柳ルミ子さん。
ですがやっぱり、本来の夢は「歌手」になること。
それもアイドルで終わらずに、大人の女性歌手へと、小柳ルミ子さんは進化を続けました。
まずは20代前半頃、アイドル時代の若い小柳ルミ子さんがこちら。
【画像:小柳ルミ子の若い頃、アイドル時代】
「瀬戸の花嫁」などを歌っていた、アイドル時代の画像ですね。
当時の小柳ルミ子さんの歌唱スタイルは、マイクの前で棒立ちし、一生懸命に歌うというもの。
デビュー当時のキャッチフレーズは「みんなの恋人」で、あくまでも清純な女の子イメージだったのです。
そしてそれは、その頃の「アイドルの基本」でもありました。
ですが小柳ルミ子さんは、元々は宝塚音楽学校の出身。
歌はもとより、ダンスの技術も身につけています。
そこで小柳ルミ子さんが思いついたのは、思い切って激しいダンスを取り入れること。
実際に30代頃には、ダンスを組み合わせた楽曲にチャレンジするようになったのです。
【画像:小柳ルミ子の若い頃】
最初は所属事務所は大反対し、元々のファンも、一部は離れてしまったそう。
それでも小柳ルミ子さんは、踊ることを止めませんでした。
歌番組のステージでも、NHK紅白歌合戦に出場するときも、ステージで踊りまくる小柳ルミ子さん。
可愛らしい歌から、激しい曲調の大人の歌へ・・・。
そして、現在の小柳ルミ子さんはこうです。
【画像:現在の小柳ルミ子】
わお!
この画像は、2021年時点での小柳ルミ子さん。
ちなみに年齢は・・・、当時69歳です。
若い頃の可愛いアイドル時代から、体当たり演技の女優、そしてカッコいい大人の歌手へ。
芸歴50年を超えてもなお、小柳ルミ子さんが活躍できる理由は、変化し続けているからでしょうね。
【画像まとめ】小柳ルミ子の若い頃!主席の宝塚時代~過激自主映画、アイドル時代まで、美しいモノクロ写真にため息
【画像:現在の小柳ルミ子】
【小柳ルミ子のプロフィール】
- 名前: 小柳 ルミ子(こやなぎ るみこ)
- 本名: 小柳 留美子(こやなぎるみこ)
- 旧芸名: 夏川 るみ(宝塚時代)
- 生年月日: 1952年7月2日(2024年現在は72歳へ)
- 出身: 福岡県福岡市
- 学歴: 宝塚音楽学校
- 職業: 歌手・女優
- 活動歴: 1970年~(宝塚歌劇団は2か月在籍)
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芸歴50周年が過ぎた現在も、歌手として活躍を続ける小柳ルミ子さん。
最近は、サッカーに詳しいことが話題になりますが、それよりも・・・。
若い頃の画像を振り返ってみると、モノクロ写真はため息が出るほどキレイです。
- 首席で卒業した宝塚音楽学校と宝塚時代やアイドル時代は、清楚でかわいい
- 本格女優となった映画出演では、「脱いだ」ことも話題に
- 大人の歌手に進化するためにダンスを取り入れた昔の写真と現在
ちなみにトーク番組「徹子の部屋」では、小柳ルミ子さんはこんなことを語っています。
常に自己プロデュースし、変化を恐れないでやってみる
それが長く生き残れた理由だと思う
出典:「徹子の部屋」(2020.9.28放送回で小柳ルミ子の発言より)
今後の活躍も楽しみですね。